手作りのクッキーにまつわる思い出、ありますか?
今村夏子の短篇「木になった亜沙」より、せっかく作ったのに受け取ってもらえなかったクッキーをご紹介します。
クッキーは上手に焼けた。亜沙のアイデアで生地にレーズンとピーナッツを混ぜこんだのが正解だった。あと十枚は味見したいところをぐっとこらえて袋に詰めると、ピンク色のリボンで口を結んだ。
翌日、山崎シュン君は亜沙が『これ食べて』といって差しだしたクッキーを『いらないよ』といって突き返した。
主人公の亜沙は、心優しい普通の女の子。
しかし彼女には、差し出す食べ物を誰ひとりとして口にしてくれないという数奇な宿命がありました。
友達も、片想いの男の子も、金魚や野生動物でさえ、彼女の手からは何も受け取ろうとしません。
いったいなぜなのでしょうか。
言ってしまえば、「亜沙が差し出すからダメ」なのです。なにしろ、亜沙がよそっただけの給食の一品をクラスメイト全員が残すのですから。
きっと拒む側にもそれなりの理由が、理屈があるのでしょう。それでも、繰り返される拒絶の描写には胸が痛みます。
おいしいものを分かち合おうとする無垢な心、繋がりや愛を求める切実な願いを、徹底的に拒まれ続ける。こんな孤独と断絶の描き方があるのかと思いました。
物語の後半では、ある転調が訪れます。
亜沙の差し出すものを食べてくれる存在が現れたのです。 この「転」から結末に至る流れは、物悲しく、相変わらず理不尽でありながら、不思議な赦しと安らぎに満ちています。
食べること、生きること。誰かを受け入れ、誰かに受け入れられることの難しさと愛しさで溢れているように感じました。
今日の一皿「受け取ってもらえなかった手作りクッキー」
今村夏子作品に登場する料理はどこか不穏で、しばしば非常に不味そうに描かれます。それは、愛や善意が必ずしも美しく消化されるわけではないという、この世界の真理を突きつけているかのようです。
亜沙が心をこめて焼いた「レーズンとピーナッツ入りのクッキー」も、リボンで飾られたまま無慈悲に突き返されます。
統計を調べたことがありますが、レーズンは日本人の約三割が苦手とする食材だそうです(2019年、日本レーズン協会調べ)。
無難な型抜きクッキーやチョコチップクッキーではなく、あえてレーズン入りを選んでしまう亜沙の「少しだけ噛み合わない善意」が、物語の切なさを加速させます。
今村夏子『木になった亜沙』について
短篇集『木になった亜沙』は、著者のそれまでの作品に比べて、ファンタジー的な意味での幻想的な要素が強いように思えますが、今村夏子の真髄発揮という感じで、私はとても好きな一冊です。
さて、きっと一生懸命つくったのだろう、ほろ苦く、端っこの焦げたようなクッキー(レーズンとピーナッツ入り)。
もし私が亜沙の前に立ったなら——。 差し出されたその一枚を、受け取ってあげることができるだろうかと、ふと考えこんでしまいました。

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